中野好夫さんは『英文学夜ばなし』(新潮選書 1971)の「文学と老人」のなかで、こんな話を書いています。
明治三十年代、住友財閥の総理事に伊庭貞剛という人がいました。その伊庭さんが五十七歳で、止められるのも肯かずに、総理事を辞めました。
その理由は
<老人は少壮者の邪魔をしないようにするのが一番肝要>
<事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失でなくて、老人の跋扈である>p250
ということでした。
その後、伊庭さんは琵琶湖湖畔の石山に閑居し、悠々自適、八十の長寿を全うしたそうです。中野さんは美しく老いるとはこのことだといっています。
<もとより好んで生命を縮める必要はありません。むろん正しい意味での老いを自覚することこそ、もっとも美しい老人の社会的な生き方ではないでしょうか。それに対して、もっとも醜いのは、精神的動脈硬化症になっている人間が自分だけはそれを自覚せず、いたずらに若い世代の場所を占拠し頑張っているあの我執ぶりでしょうか。>p250
いままさに高齢化社会になりつつある中で、やはり「老人の跋扈」でなく、「青年の過失」を、です。自らの我執により、道を閉ざすのではなく、自らの自覚により、道を開くことが大事です。醜くでなく、美しく、それ以上に潔く老いたいものです。