武田徹「オンライン日記」の3月11日付「
濫読」より、次の文章の最後がいい!
<若い頃の濫読は、正直な話、殆ど記憶に残らない。骨身にもならない。ただ、濫読しているうちにどこか気になって、読み終えても手放せない本と出会えて、なんどか読み返してやっと自分の血肉になってくる感じ(そのときには結局、書いたのと同じ時間かけて読んでいたりする)。そんな血肉がたまってきて経験の肉厚が増してゆく。若いうちに読み飛ばすのは、そんな気になる本に出会うための助走なのだ。・・・・・(中略)・・・・・冊数自慢はガールフレンドの数を自慢するようなもの。将来、いい読書人になってゆくのは若い頃に濫読の空しさを知りつつ、濫読してきたひとなのではないかな。恋の空しさを知りつつ・・・ってこともあるように。>
いい文章は円滑なコミュニケ-ションのための潤滑油です。